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さかい(境)から、世界へ、発展を続けるまち

2024.01.12

摂津・和泉の国の境に位置することから「さかい」と呼ばれるようになった堺。
平安時代、すでに「さかい」の名で呼ばれていた記録が残っています。
古代から古墳が造営され、戦国時代には「日本のベニス」と呼ばれ、日本一の商業都市に発展し、歴史を重ねてきた堺には、今もその痕跡が残っています。

路面電車が走り重要文化財や登録有形文化財となっている町家が点在し、最古の木製洋式灯台がある堺。まちを歩くと、どこか懐かしい雰囲気がただよい、ゆったりとした時の流れが感じられます。大阪市のベッドタウンの印象がありますが、独自の歴史を歩み世界に誇れる歴史や技術を持った、魅力あふれるまち。知れば知るほど何度も訪れたくなる、味わい深いまちです。

境に位置するまちだったから、さかい
日本最大の前方後円墳や自治都市、戦国時代を支えた鉄砲製造など、日本の歴史の中で度々登場する堺。まちとして発展を続けたのは、摂津と和泉という2つの国の境に位置し、すぐ近くに海があった地理的な条件が大きく関係しています。また、かつて都があった、奈良の外港としての役割も果たし、早くから国内の物流の中継地となっていました。華やかな歴史を歩んできた堺では、今もその面影をまちのそこここで感じることができます。

旧市街地である環濠エリアの中心部にある大小路角には、摂津国住吉郡堺北庄と和泉国大島郡堺南庄の境を示す碑が立っています

現在は、大阪市内中心部から30分ほどでアクセスできる堺市。人口80万8千人ほど(令和6年4月1日推計人口)の政令指定都市です。関西国際空港と大阪の都心部を結ぶ鉄道の沿線にあり、高速道路が縦断し、国際海上輸送の拠点となっている堺泉北港もあり、海陸両方のアクセスに優れた立地は今も変わりません。

堺市提供

中世以降に環濠をめぐらせて発展した自治都市の範囲「旧市街地」は、現在の堺区に含まれます

大阪府で初めての世界文化遺産
2019年、大阪で初めて世界遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群。堺市にあるのは百舌鳥古墳群で、44基が現存しています。中でも世界最大の前方後円墳である仁徳天皇陵古墳(大仙古墳・大仙陵古墳)は全長486mでその存在感は圧倒的。クフ王のピラミッド(エジプト)、秦の始皇帝陵(中国)と並んで、世界三大墳墓のひとつとされています。

鍵穴のような形が特徴的な仁徳天皇陵(堺市提供)

地上80mにある堺市役所21階展望ロビーから仁徳天皇陵を望む

ほかにも、全長100mを超える大型の古墳が次々と築造され、古墳時代から重要で神聖な地域であったことがうかがえます。この古墳の造営を担った人たちが暮らした集落跡も発見されています。

百舌鳥古墳群の築造に関わった集落跡と考えられる土師遺跡(堺市文化財課提供)

 

海浜リゾートでにぎわった大浜公園
「さかい」の地名が登場するのは、平安時代のこと。藤原定頼が歌集の中で「さかいという所にしほゆあみにおはしけるに」と記しており、さかいの名が歴史に出てくる最初といわれています。しほゆあみとは、海水を沸かしたお風呂(潮湯)で、いわば温浴施設のこと。大浜公園にあった潮湯はその後も続き、明治時代には水族館や海水浴場などもできて整備され、各地から人が集まる人気のレジャースポットとなりました。第二次世界大戦で閉業してしまいますが、その遺構(潮湯家族湯)は河内長野市のあまみ温泉 南天苑に移築され、今も大浜公園にあった当時の姿をとどめています(辰野金吾氏による建築で登録有形文化財)。

レジャースポットだった頃の面影はありませんが、かつて大浜公園にあった猿山は、檻になりサルたちが元気に暮らしています

また、大浜公園で年に1回開催される「堺大魚夜市」は鎌倉時代から続く夏の風物詩。豪快な魚セリが一番の見どころです。


魚セリは夜に行われ、露店や企業のPRブースなども並ぶ地域に密着したお祭りです

貿易の拠点として発達
現在の堺泉北港は、堺市、高石市、泉大津市の3市にまたがり南北14kmの大きな港ですが、かつて日明貿易や南蛮貿易で栄えたのは、堺港です。古くから漁港として発展し、室町時代に遣明船の発着港となったこともひとつのきっかけで国際貿易の拠点に。商売上手な堺の商人たちは、生糸や絹製品、綿に香料、薬種などの取引を通して富を得て、堺は「日本のベニス」といわれるほどのまちへと発展しました。堺の線香について詳しくはこちら

 
1877年に建築された堺旧港の突端にある木造洋式灯台

輝かしい時代を築いたのには、まちづくりにも秘策がありました。それは、大名や武士の侵入を防ぐため、まちの周囲に濠をめぐらせて環濠とし、その中では商人自らが都市を運営する自治都市としたことです。豊臣秀吉によってその濠は埋められてしまいますが、江戸時代に再び栄えた商人たちが立派な屋敷を建てました。堺に文化財級の町家が多いのは、そのためです。

 
大坂夏の陣で市街地が全焼した直後に建てられました。現存する中では数少ない、江戸初期の町家のひとつ「山口家住宅」。国の重要文化財

 

 

 

 

 
1877年頃に建てられた内田家住宅。大きな梁が通る吹き抜けの台所天井が印象的

 

 

 

 

 

堺のまちを語る上で忘れてはならないのが、鉄砲と刃物です。以前から鍛冶技術があったため、種子島から火縄銃が伝わると、数年後には一大生産地となりました。鉄砲と刃物について詳しくはこちら

時代が進み、鉄砲の製造が終息を迎えると、その鉄加工技術は自転車の部品や運動具(公園の遊具や防球ネットなど)、スコップなどに応用されていき、匠の技として今も堺に根づいています。

シマノ自転車博物館は、日本で唯一の自転車がテーマの博物館

歴史を大切にし、力強く発展
堺のまちの特徴は、歴史や文化の遺産が割とそのままの状態で見ることができること。堺の人たちが、これまで大切にしてきたからこその賜物で、ポテンシャルのあるまちです。
住所表記を見ると、「堺市堺区甲斐町西1丁」という具合に、他の地域で使われている「丁目」の表記は使われていません(後に合併した美原区を除く)。これは、それぞれが「町」であったことに由来するもので、歴史を大切にしてきた堺の人たちの思いの表れといえるでしょう。

(左)昭和23年と(右)令和4年の堺市の空撮写真。堺市の海岸は、高度成長期に土地の造成や護岸整備が行われました
出典:国土地理院ウェブサイト
(左)https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=224442
(右)https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1931379&isDetail=true
https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=1931378
をもとに堺フィルムコミッション実行委員会作成