プロの使う和包丁として高いシェアを誇る堺打刃物は、長い歴史の中で培われた技術が現在も継承されています。古墳築造のための鉄製工具に端を発し、火縄銃の伝来から鉄炮、タバコ包丁の製造など形を変えながら発展してきました。
堺を代表する伝統産業のひとつ、堺打刃物。
いまでも、まちを歩いているとトンカントンカン刃を打つ音、シャキシャキ刃を研ぐ音がどこからともなく聞こえてきます。堺と鉄の関係は、古く、古墳時代にまで遡ります。古墳の築造に必要な鉄器を作るため、技術集団が堺に集められたことがその始まり。時代とともに作るものが変わっても、その技術を高めるべく研さんを重ねてきたからこそ、今の堺には打刃物という、誇るべき産業があります。
堺市博物館の常設展示で、その秘密に触れてみましょう
鉄砲生産で繁栄したまち、堺
時は戦国時代。種子島に火縄銃が伝わると、各地との交流・交易拠点として栄えていた堺に鍛冶技術が伝わり、また火薬の原料となった硝石が手に入りやすかったことも手伝い、鍛冶技術の基盤があった当地で製造されることになりました。鉄板を打つことに長けていた鍛冶集団でしたが、鉄炮を製造するには銃身はゆがみのない筒状にする、銃身をふさぐための尾栓にはネジを使うなど、当時の日本にまだなかった技術を習得する必要がありました。試行錯誤を繰り返し、まっすぐに弾を飛ばすことのできる火縄銃の量産に成功します。
銃身の内部 堺市博物館蔵
火縄銃の普及は、戦法や築城法などに変化をもたらし、日本の歴史に大きな影響を与えました。江戸時代の記録によると、鉄砲1挺の価格は、およそ2年間で1人が食べる米の価格に相当したようで、鉄砲の生産によって堺のまちが潤ったといっても過言ではありません。より効率的に大量生産するために、分業して製造されました。
堺市博物館にはさまざまな大きさの火縄銃が展示されています
鉄炮のメンテナンスまで一手に請け負う
日本では、種子島に最初に伝わったとされている火縄銃。火縄を使って火薬に点火して弾丸を発射することから、その名称がついたといわれています。その構造上の特徴から、大きく発展することはありませんでした。また、連続して撃つことができない上に1発を撃つのに多くの手順を踏む必要があり、慣れた人でも20~30秒がかかったといわれています。
火縄銃を打つ手順
1.火縄に点火しておく ※火縄には火薬が練り込まれており、点火しやすくなっている
2.銃口から火薬と弾を入れ、棒状のカルカで奥へ押し込む
3.火皿に点火薬を入れ、火蓋を閉じる
4.火縄を火挟に固定する
5.火蓋を開いて、ねらいを定める
6.引き金を引いて発砲する
引き金を引くと、点火薬のついた火皿に火縄が押し付けられ、点火薬に火がつく。そこから、筒内部に詰められている火薬に引火。これが爆発することで弾が発射される仕組みです。堺では、弾の材料となる硝石も手に入りやすく、鉄炮とセットで販売、またメンテナンスや修理なども行っていたと伝えられています。
堺市博物館
世界遺産に指定されている百舌鳥古墳群の中心部に位置する大仙公園内にあり、堺市の豊かな歴史と文化を展示・紹介しています。古墳や火縄銃、刃物生産や伝統芸能まで、幅広い常設展示に加え、年に数回特別展や企画展が開催されています。
江戸時代、堺の海辺には鉄炮の試射場があり、周辺には多くの鉄炮鍛冶屋が住んでいました。現在は、その場所は「鉄砲町」と呼ばれています。また、南海電車七道駅前には、試射場があったことを伝える碑が立っています。
放鳥銃定限記碑・鉄砲鍛冶射的場跡(堺市指定有形文化財)
堺と深いつながりがある徳川家康
大坂夏の陣では、大坂城の豊臣方を砲撃するために徳川家康が命じて、堺と国友の鉄炮鍛冶に製作させた日本最大の大火縄銃「慶長大火縄銃(大阪府指定文化財)」です。大坂夏の陣では数多くの火器が使われましたファ、全長3メートル、重量は135キログラムのこの大火縄銃の存在感は別格です。大きいだけではなく、象嵌の美しさなど、工芸品としても魅力にあふれています。
また、慶長14(1609)年に家康は諸国の鉄炮鍛冶に大炮の製作を命じますが、なかなかそれに応じる者がいませんでした。しかし、そのなかで堺の鉄炮鍛冶芝辻理右衛門は2年の歳月をかけて、全長3.25メートルにも及ぶ巨大な「大筒」を完成させました。
実物は、靖国神社に現存しています。 堺市博物館ではその複製を製作し、展示しています
「堺極」は信頼の証
戦乱の多かった室町時代を経て、安定した政権による平和が長く続いた江戸時代へと移り変わり、戦いの道具としての鉄炮は活躍の場をなくしますが、砲術や狩猟などに使われるようになります。鉄炮の位置づけは、実用品から美術品へと変わり、さまざまな装飾を施したものが流行し、一種のステイタスとして鉄炮を所有するようになります。
同時に刀を生産してきた多くの鍛冶屋は、その高い技術力で、当時流行し始めたたばこの葉を刻む「タバコ包丁」の生産に乗り出します。堺で包丁作りの知識がどんどん積み重なり、優れた良い包丁が生まれました。タバコ包丁は、抜群の切れ味を誇り、幕府からのお墨付きともいえる「堺極」の刻印が許され、全国にその名を広めました。
すべての工程は熟練職人の手作業で行われます
さまざまな種類の包丁
「切れる」包丁は、おいしく美しい
堺の包丁は、材料となる鉄や鋼を高温で熱し、金属やハンマーでたたいて打ち延ばしながら形を整える、鍛造という方法で作る「打刃物」。たたきが全てという職人もいるほど、打つ工程は製品の切れ味や耐久性を左右する重要なもの。
熱してはたたくことを繰り返します
包丁の出来を決める大切な工程
打刃物の包丁は片側にしか刃のない片刃が基本。よく研がれた包丁の刃先は1000分の2ミリのギザギザになっており、そのギザギザを食い込ませることで、食材を切ることができます。刃先の先端が鋭いほど切断面の組織を傷つけることなくスパッと切れるため、切り口は美しく、食材本来の味を損なわせることもありません。天下の台所といわれ、各地からおいしいものが集まった大阪だからこそ、おいしいものへの探求心から、おいしいものをよりおいしい状態で食べるために生まれた技術ともいえます。
適切なメンテナンスで世代を超えて愛用できる包丁に
どんなに切れ味のいい包丁でも、使っていくうちにギザギザはつぶれてしまいます。時には凶器ともなりうる包丁ですが、意外に繊細な道具。このギザギザがなくなってしまった包丁は、刃先がまっすぐで、食材の上で滑ってしまい切れ味が悪くなります。そこで、切れなくなった刃を鋭く削り取る包丁研ぎが必要となります。定期的に研ぐことで、刃がある限り使い続けることができるのです。親子2世代、または祖父母の代から3世代にわたって、使い継がれているものも少なくありません。
回転砥石で状態を確認しながら荒研ぎ
包丁のゆがみがないか確認
かつて、鉄炮を分業で生産していたように、現在の包丁作りも「鍛冶」「研ぎ」「柄付け」の工程をそれぞれ専門に行う分業で生産されています。それぞれのプロフェッショナルが技術を高め合いながら協業することで、よりクオリティーの高いものが生み出され、世界中の料理人たちの注目を集めています。国内では、プロ料理人の9割以上が愛用しているとも。また、多くのメーカーと協業したOEMも行っているので、今日使うその包丁もMade in堺かもしれません。その高い専門性は、刀や鉄炮といった先行産業があったからこその賜物なのです。
堺伝匠館
堺の伝統産業や匠の技を集めて展示、販売。見るだけではなく体験できるコーナーも設置。包丁やはさみの研ぎ直しを受け付けているほか、併設の「堺刃物ミュージアム CUT」では、堺刃物の歴史や製造について深く知ることができます。
堺鉄炮鍛冶屋敷
鉄炮について深く知ることができる堺鉄炮鍛冶屋敷ミュージアムが2024年3月にオープン!
かつて多くの鉄炮鍛冶職人たちが暮らした環濠の北部エリアにあり、全国でも唯一残る江戸時代の鉄炮鍛冶の住居兼作業場を備え、堺市の有形文化財に指定されている「井上関右衛門家住宅」がミュージアムとして開館します。屋敷からは2万点を超える古文書など鉄炮生産に関する貴重な歴史資料が多く発見されています。